クロガネ・ジェネシス

第20話 空を舞う2人
第21話 雨 2人の時間
第22話 (次回更新予定)
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第ニ章 アルテノス蹂 躙じゅうりん

第21話
雨 2人の時間



 それからさらに数日が経ったある日。
 グリネイド家の中庭。そこに3人の男女がいる。
 1人は青みがかったショートカットの髪の毛を持ち、ヘソ出しで黒のノースリーブにカットジーンズという露出の多い格好をした女性、ネレス・アンジビアンだ。
 彼女は自分より大柄な亜人と対峙している。
 黒のランニングシャツに、ジーンズ姿。天然パーマをアフロヘアーにし、丸めがねををかけた長身の男。彼の名はギン。
 そんな2人を見つめているのは、ピンク色のチャイナドレスを身にまとい、側頭部から三角形の耳が生えている亜人の女性、ユウだった。
「言っとくが……俺は手加減できねぇぜ?」
 アフロヘアーの亜人ギンがネルに対して言う。
「相手が女の子でも?」
 対するネルは余裕の表情でギンを見据える。ここ数日、ギンと戦闘訓練を行ってわかったことがある。
 ギンの戦い方には決まった型がない。つまり我流であると言うことだ。それが悪いことだとは言わない。しかし、格闘家として実力のあるネルにしてみれば、ギンの攻撃は隙だらけであるといえた。
 実際今までの戦闘訓練でもネルが勝利を収めてきた。
「相手が女でもだ……その方が犯しやすいしな」
「……」
 ネルとユウは沈黙した。こういう発言は女の敵を作りやすいことをこの男は理解してるんだろうか?
「ま、まあいいや……」
 ネルは気を取り直して構える。
「いつも通り、私も手加減はしないからね」
「望むところだ! 今日こそは一発ヤらせてもらうからな 」
「……」
 ネルはもう何も言わないことにした。反応するのもいちいち疲れる。
 ネルとギン、ユウの3人で行っている戦闘訓練。この戦闘において、ゴングはない。今現在、対峙しているこの瞬間から戦いは始まっている。
 ギンとネルの2人は互いに睨みあう。最初に動いた時点でこの沈黙は破られる。張りつめる緊張。少しずつ少しずつ、足と手が動く。互いの隙をうかがっているのだ。
 我流のギンは基本的に構えも何もない。しかし、隙だらけというわけではない。亜人としての勘なのか、一見隙だらけに見えても、ネルの予想外の行動をとってくる。
 ユウに言わせればギンの動きは、予想不能で、普通の亜人でもその動きについていける者は少ないらしい。
 それでも、ネルの動きを凌駕《りょうが》することはない。基本的に勝者はネルになる。
 この男がきちんとした型を身につければ、とんでもない戦闘能力を発揮するに違いない。ネルはそう思っていた。
 中庭に植えられた草花が風に揺れる。その刹那……!
『……!』
 動いたのは同時だった。いや、実際には同時ではなかったのかもしれない。しかし、そんなことはどうでもいいことだ。
 ギンの拳がネルめがけて放たれる。その右手を、ネルは左の手の平で叩き、受け流す。結果、ギンの拳はあらぬ方向にそれ、隙が生まれる。
 ネルはその瞬間を見逃さなかった。体を回転させ、ギンの左横腹めがけて右回し蹴りを放つ。
「ぐぅ!」
 その蹴りは見事にギンの横腹を直撃した。痛みにうめくギン。が、その直後。
「え!?」
 ネルは自分の体が宙に浮き上がる浮遊感を感じた。
 ネルの蹴りが直撃した瞬間、ギンはその左足をつかみ、体をバネにして持ち上げたのだ。
「な、あぁ、ああ!!」
 そして、ネルを体ごとぶん投げる。
 頭から中庭の壁へ向かっていく。しかし、直撃するほどの勢いはなく、弧を描いて地面へと向かう。ネルは見事に地面に着地した。
 相変わらず無茶苦茶なギンの戦い方。それは力任せでありながら、相手の戦闘力を削ぎ落とすのに十分すぎる力を持っていた。
「相変わらず無茶苦茶なんだから……」
 掴まれた足がジンジンする。跡が残ってたら恨んでやろうかと思った。
 ギンの戦い方はまさに肉を切らせて骨を断つという形容がぴったりくるものだった。自ら攻撃するより、その攻撃を受け止めるなり、交わすなりした後のカウンター攻撃の方が怖いのだ。
 それが普通の人間がやったのなら対して驚異ではない。しかし、相手は亜人のギンだ。ギンの力でそれをやられたら、決して小さくはないダメージになる。ギンが特別に格闘技の型を知らなくても戦える理由がここにあった。
 ――それならば……!
 しかし、その攻撃とて万能ではない。ネルは幾度かのギンとの戦闘訓練で、それを理解していた。ならばとるべき手段はある。
 ネルはギンめがけてゆっくりと歩く。そして、ギンの目の前まで来ると、ゆっくりと拳を構えた。
 即座にギンが動き、拳を放つ。ギンの拳も決して軽いものではない。
 ネルはその拳に拳をぶつける。しかし、正面からぶつけ合うのではない。横から、下から即ち手首に向けて放つ。
 ギンの攻撃は1回では終わらなかった。1発目のみならず、2発3発と拳の連打がネルに向けられた。その1発1発の拳をネルは的確に打ち落としていく。
「チッ……なんでだ!」
「まだまだ攻撃が大味だよ!」
 ギンの拳の雨が止んだ瞬間、ネルは即座に動いた。腹部に正拳付きを叩き込む。確かな手応え。亜人の肉体と言えど、その一撃はかなり重く、無視できるダメージではない。ギンの反撃の手がネルの手首に向かう。しかし、動きの鈍ったギンの手の動きを、ネルは一瞬で看破し、即座にその手をギンから放す。
 一瞬で引っ込められたネルの拳。
 ギンの手は空振りした。まだ一打としてネルに攻撃を当てていない。投げ飛ばしはしたが、それはネルとの戦闘において、攻撃を当てたとは言わない。
 しかし、ネルは既に一撃を叩き込んでいる。人間の拳を1発食らった程度では、ギンは倒れない。しかし、攻撃を当てたか否かについてはネルの方が優位に立っているといえる。
 そのため、ギンの表情には焦りが出ていた。勝敗を分かつのは、膝を折るか否か。または降参だ。
 しかし、2人の瞳から読み取れる感情に降参の2文字はない。訓練とはいえ、これは戦いだ。降参は死と同じだ。
「オオオオオオオ!」
 ギンが雄叫びを上げる。次の瞬間、両手の平がネルに向けられる。それは拳ではない、ネルを掴み、投げ飛ばそうとする手だ。
 それを弾くために攻撃で返すてもあるにはあるが、リスクが大きい。回避した方が無難だ。
 掴みかかる手は幾度と無く襲い掛かる。1回目、2回目と回数を重ねる。ネルはそれを首を的確に振り、動くことで回避していく。
 その度に、額や頬を伝う汗が宙を舞う。
 しかし、疲労からか、その攻撃のうちの1つを完全に回避することはできなかった。
 僅かな差、ギンの手の平がネルの頭に向けられる。回避は間に合わない。そこでネルは、回避することをやめた。
 迫るギンの右手。ネルはその手首を逆手に掴み返したのだ。
「……何!?」
「うおおおおおおお!!」
 直後、右手を握ったまま、ギンに背を向ける。いわゆる1本背負いの体勢だ。
 1度勢いづいたその動きは止まらない。ギンの体は宙に浮き上がり、地面に投げ出される。
 背中から地面に叩き付けられるギン。仰向けに倒れた彼の眼前にネルの拳が迫った。しかし、その拳がギンに直撃することはない。即ちすん止め。そのままネルの拳がギンの顔面に直撃していたらギンの頭蓋が割れていた。
 つまり、この戦いでの勝者はネルだ。
「今回も私の勝ちだったね」
 ギンに拳を突きつけたまま、ネルは笑う。
 一方ギンは何も言わない。その視線はある一点を見つめていた。カットジーンズと太ももの間から、僅かに覗く、淡く白っぽい布地。
「おいネル」
「ん?」
「お前……ピンクのパンティー履くんだな……意外と少女趣味な……」
 それ以上ギンの言葉は続かなかった。ネルの右足でギンの顔面を踏みつけにしたからだ。
 ――どこを見てるんだか……。
 ネルの表情は呆れていた。

「2人ともお疲れ様! はい、タオル」
「ありがとう。ユウさん」
「サンキュな……」
 ユウが先ほどまで戦っていたネルとギンにタオルを手渡す。
「相変わらずつえぇな……。人間とは思えねぇぜ……」
 ギンはタオルを首にかけ、芝生の上にあぐらをかいて呟く。
「まだまだ戦闘訓練を始めたばっかりの2人には負けられないよ」
 額や頬の汗をふき取りながら、爽やかな笑顔でネルが言う。
「でも、ギンさんは握力もパワーも人間と比べたら天と地の差があるんだし、しっかりした格闘技の型をマスターするべきじゃないかな?」
 ギンは今まで我流で戦ってきた。ケンカのような戦い方だったが、力がある分そんな戦い方でも十分だったのだ。しかし、しっかりした格闘技を学んだ者との戦いでは通用しないものがある。事実、力で劣るネルがギンを圧倒できているのはその辺りの差が大きい。
「お前が教えてくれんのか?」
「学ぶ気があるのなら」
「手取り足取り?」
「不純な動機ならやらないよ?」
「チッ……」
「チッって……」
 ギンの態度を見て思うことは、どこまで真面目なのか分からないということだ。なぜ、アマロリットはこんな亜人を家族にしているのだろう。ネルにとってそれは大いなる疑問だった。
「あら?」
 その時、ユウが何かに気づいたかのように空を見上げる。
「あ、曇ってきたね」
 ネルもそれに連れられて空を見上げる。
 さっきまで白い雲と青空が広がっていたというのに、いつの間にか、黒雲が太陽を覆い隠し、日差しを遮っている。
「一雨来そうだな……」
「うん。とりあえず、シャワーでも浴びて、一旦戦闘訓練を終わりにしましょう。私も休みたいし」
「そうだな」
 3人は雨が降ってくる前に、中庭から退散することにした。

 それから数時間して雨が降ってきた。アルテノス全域で降っているらしく、海も荒れている。
 雨は横殴りで、傘を差す者もいるが、ほとんど役に立っていない。
 そんな中、雨に濡れながら飛行する白き竜《ドラゴン》が1体。
「くっそ〜う! 雨がつめてぇぜ! こんな天気でも来てくれてありがとうなシェヴァ!」
『グォォウ!』
 その竜《ドラゴン》に乗っている1人の少年が愚痴をこぼす。
 鉄零児《くろがねれいじ》だ。いつものように騎士養成学校から帰っている途中だった。
 しかし、午後3時を回った辺りで雨が降り始めた。すぐにやむことを期待したが、そんな気配が感じられないので、どう帰ろうかと考えていたのだが、驚くべきことにこんな天気でもシェヴァは迎えにきてくれた。
 それに驚きつつ、零児はシェヴァの背中を借り、グリネイド家の屋敷を目指していた。
 降りしきる雨が、零児とシェヴァの体を濡らしていく。ここ1ヶ月近く雨なんか降っていなかったので、忘れていたが、雨に濡れるというのはかなり冷たいものである。
 帰ったらシャワーを浴びてしっかり体を温めておきたいものだ。
「お、見えてきた!」
 零児の目にグリネイド家の屋敷が見えてくる。
 さほど時間をかけることなく、シェヴァは自らが入るべき竜小屋の前に着地した。
 零児がシェヴァの背中から下りて、雨に濡れるのもかまわず、かんぬきを外し、竜小屋の中へシェヴァを入れた。
 開け放たれた門をくぐる、シェヴァ。
「じゃあな、シェヴァ。ゆっくり体を休めてくれよ」
『グォウ!』
 シェヴァは小屋の隅の方にある干草のベッドへと歩いていき、その身を横たえた。
 零児はそれを確認すると、竜小屋から出て、かんぬきで門を閉じ、屋敷へと向かった。
 屋敷の玄関をくぐり、ロビーに入る。雨から解放され、零児はとりあえず、一息ついた。
「やれやれ、えらい目に合ったぜ……」
 零児はまず自分の部屋に向かう。相変わらず簡素な部屋。零児はそこに自分の荷物を適当に置き、部屋の隅に置いてあるタンスからバスタオルを取り出し、シャワールームへ向かう。
「うわっ! レイちゃん!」
「よう。火乃木」
 シャワールームへ向かう廊下で、火乃木と遭遇する。火乃木は黒いエプロンを身につけている。どうやら今日は火乃木が調理担当のようだ。
「ずぶ濡れじゃん!」
「この雨だからな。仕方ないさ」
 零児は屈託なく返す。雨が降ってきたのは別に誰のせいでもない。
「これからシャワーを浴びるの?」
「ああ」
「お茶煎れようか? 暖かいの。なんならお部屋まで持ってくよ?」
「いや、お湯だけ沸かしといてくれ。自分で煎れるよ。お前が煎れた緑茶は渋みが強すぎるからな」
「ぬぁに〜!」
 子犬のように噛みつく火乃木。しかし、事実だから何も言い返せない。
「じゃ、そういうことで。お湯よろしく〜!」
 零児は反撃が怖くてそそくさとシャワールームへと向かった。
「むぅ……バカ」
 すねたような表情をして、火乃木は零児の後ろ姿を見送った。

「ふぅ……さっぱりした」
 その後、零児はシャワールームにて体を洗い、着替えて再び廊下を歩く。
 行き先は台所だ。零児が言ったことを火乃木が実行に移してくれているのなら、すでに熱いお湯が沸いているはず。
「お〜い、火乃木ぃ〜?」
 白一色の壁に赤い床、銀のテーブルが置いてある台所。そこに火乃木はいた。
「飲んで!」
 零児が現れた途端、火乃木は怒れる子犬のような表情で零児に詰め寄った。
「え?」
「というか飲め!」
 さらに命令形。一体何を飲めというのか。火乃木はテーブルの上のある一点を指さした。そこに置いてあったのは、ティーカップに注がれた緑色の液体だった。
 零児はその中を覗き込む。どうやら煎れたての緑茶のようだった。
「お前が煎れたのか?」
 火乃木は無言でうなずく。その瞳はどこか挑戦的だった。
「わかったわかった。飲むよ」
 いくら相手が火乃木であるとは言え、自分のために煎れてくれたであろう茶を無碍《むげ》にはできない。ティーカップを手に取り、注がれている緑茶を少し口に含む。
「ど、どう?」
「う〜ん……」
 女性のことを気遣える男なら、例え不味くても美味いという台詞を口にすることができるだろう。しかし、あいにく零児はそういうタイプの男ではない。
「渋みが強いな……。我慢すれば飲めなくもない」
「あ、うう〜……」
 火乃木はうなだれた。自信があったからなのか、それとも単に零児の言葉にショックを受けただけなのか、それとも両方なのか、それは零児にはわからない。
「仕方ないな……。教えてやるよ」
「え?」
「おいしい緑茶の煎れ方を、教えてやるよ」
「べ、別にいいよ……。自力でどうにかするから……」
「そういうなよ。受けられる施しは、素直に受けておけ」
「……わかった」

 零児の指導を受けて、火乃木は再びお茶煎れに挑戦する。零児はお茶っ葉の入った瓶にスプーンをつっこみ、適当にお茶っ葉をすくい上げて説明する。
「緑茶ってのは、お茶っ葉とお湯の量のバランスが取れていないと、薄すぎて味がしないか、濃すぎて渋みまででてきてしまうかのどちらかなんだ」
「そういえばボク、たくさん飲むならたくさん使えばいいって考えてたかも……」
「そうだろ? だけど、たくさん使うだけなら大きな問題はないんだ。本当に問題なのは、お湯をお茶っ葉に浸す時間だ。お湯の量とお茶っ葉の量、さらに時間。この3つがきちんとしていないと、目も当てられない味になる」
「ふむふむ……」
 零児は急須にお茶っ葉を適量投入する。
「じゃあ、次にお湯だ。火乃木、お湯取ってくれ」
「うん」
 火乃木が沸騰しているお湯が入った鍋に手を伸ばす。片手持ちの鍋の取っ手を掴み、持ち上げる。
 そのとき、火乃木が持ち上げた鍋のお湯が揺れ、火乃木の手首にその一部が跳ねた。
「う、うわ!」
 跳ねたお湯が火乃木の右手首に当たり、熱さのあまり火乃木は鍋を落としてしまう。
「火乃木!?」
 床にお湯がぶちまけられ、同時に鍋が床の上でガラガラと音を立てる。
「あっつぅ……」
「おい、大丈夫か!?」
 零児は急いで火乃木に駆け寄る。足下に鍋ごとぶちまけられたお湯は幸か不幸か火乃木の足に当たることはなかった。しかし、最初に跳ねたお湯が火乃木の右手首に火傷を作っていた。
「あ〜お湯がぁ〜……」
 落胆する火乃木。しかし、零児はそんなことより気になることがあった。
「お湯なんかどうでもいい!」
「あっ!?」
 零児は火乃木の手首を掴み、蛇口に近づける。水を出して、その流水に火乃木が火傷した部分をあてがう。
「……」
 沈黙が2人を包む。火乃木はちらりと零児を横目で盗み見た。
 その表情は真剣そのものだった。
「女の肌なんだから、火傷の痕なんて残さない方がいい」
「……!」
 火乃木は目を見開いた。零児が自分のことを女として扱ってくれることが嬉しかったからだ。
「取りあえず、しばらくこのままにしてろよ、片づけとお茶煎れは俺がする」
「う、うん……」
 火乃木は頬をほんのりと染めながら頷いた。

 その後、床に落ちた鍋と床にぶちまけられた水を処理し、零児が自分でお茶を煎れた。
 火乃木の火傷も、十分冷ましたためか、流水から手を出して、零児が煎れたお茶を見つめる。
「きれいな色……」
「そうか?」
 零児の煎れたお茶は、緑色の透明。その色には濁《にご》りも何もなく、透き通っている。
「飲んでみてもいい?」
「もちろん」
 火乃木が零児の煎れたお茶を口に入れる。
「ボクが煎れたのと全然違う……。すごくおいしい」
「そういってくれて嬉しいよ」
 そういって零児も自分で煎れたお茶を口に含む。
「確かに、我ながらいい味だ」
「なんか、ダメだな……ボク。お茶を煎れることすら、上手にできないなんて……」
「火乃木……」
 沈みがちな火乃木の表情。零児は彼女の瞳を見て言葉を紡いだ。
「火乃木……どうしてお前は、俺ばかりを見ているんだ?」
「え?」
 それは意外な一言だった。まったく予想だにしない零児の台詞。
「俺が言うのもなんだけど、お前は可愛いと思う。俺なんかにはもったいないくらいな」
「そんなことないよ」
 火乃木は静かに抗議する。零児がこれから言うであろう台詞はできれば聞きたくは無かった。しかし、同時に何を言おうとしているのかを気にしている自分もいる。
「俺は人殺しなんだぜ? 俺の手には血の臭いがついている。骨を折った感触も、肉を切った感触も俺の手に染み着いている。そんな俺と、お前とじゃ吊り合わない。お前は俺より、もっといい男を見つけるべきなんじゃないのか?」
「ねぇ……レイちゃん」
 火乃木は持っていたティーカップをテーブルに置く。両手を胸の前で組み合わせ、その続きを口にした。
「レイちゃんにとって、ボクの代わりっているのかな?」
「……!」
 今度は零児が驚く番だった。火乃木が言っていることの意味を考える。しかし、言葉通りの意味しかわからない。だから単純に考えて、零児は答えた。
「いるわけない。お前はお前だ」
「そうでしょ……よかった」
 火乃木はほっと胸をなで下ろす。何がよかったのかは零児にはわからない。
「それと同じだよ」
「……」
 火乃木は笑顔で言葉をつないだ。
「ボクにとっても、レイちゃんの代わりなんていない。レイちゃんはレイちゃんだよ」
 零児はそこでようやく火乃木が言わんとしていることに気づいた。
「ボクは、レイちゃんを思って生きてきた。それを変えるなんて今更できない。だって、ボクは……」
 そこで火乃木は言葉に詰まる。それ以上先の言葉がでてこない。言いたいことはわかっていてもそれ以上言葉を述べることを拒否している自分がいる。
「そうか……そうだよな」
「?」
「代わりなんか……いないよな。そんなの当たり前だった」
 零児はそういって再びティーカップに口を付けた。
「答えはちゃんと出す。必ず出す。それまで、もう少し待っててくれ。火乃木」
「うん。待ってるよ」
 火乃木は笑顔で答えた。零児のためなら、いつまででも待てる。火乃木は心からそう思っていた。
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